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さよなら伯母さん

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父方の伯母が土曜日深夜亡くなりました。
親父の兄弟は親父が一番下で、全員元気な驚異の兄弟でした。
昨年、一番上の姉が亡くなりました。長伯母は長生きでもう100に近かったと
思います。
早くに祖父が戦争で亡くなり、母親一人だったので、長伯母が父の面倒を
みていたらしいです。

さて、今回は2番目ですから、ついに「いつまでも元気な兄弟」も
半分になってしまいました。

伯母は、築地の魚河岸で仲買を営む伯父に嫁ぎました。
いつでも、どんなときも気丈で、そのあまりの気丈さに
甥、姪たちは、少し気後れしたものです。
でも、歳を感じられない矍鑠さがあり、立派な人でした。
家は旧地名で芝西久保巴町(現虎ノ門三丁目)に小さな家があり。
東京タワーの直下に近いところでした。

遊びに行くと、東京タワーに連れってってやるといわれ。。。
喜んでついて行くと、芝公園一周でおしまい。。。「えっ登らないの?」
地元の人は東京タワーに登らないんだということ実感した瞬間です。

この場所はまさしく「ALWAYS三丁目の夕陽」の設定の場所の近くです。

遊びにいくと、食え食えとよく魚河岸のおいしいものを食べさせてもらった。
中でも特筆は、「メザシ食べる?」といって出されたメザシ。
とてつもない美味しさでした。世の中にこんなに高級なメザシがあるのか
と思いました。

もっと食え、まだ食べられるでしょ、、、と。「出されたものは残さない」
教えを持つ私としては、いつも大変でした。

そんな、家も、森ビルの再開発で、引っ越すことになりました。
とても狭いけど、人情味のある路地の人々はこぞっていなくなり
色々な場所に四散してしまいました。
公共の政策でなく、一企業の戦略で、このALWAYS一帯はきれいに無くなったのでした。

その後は世田谷区に豪邸を構え、移り住んだわけですが。
伯父を亡くしてからは大きな家に一人暮らし寂しかったと思いますが。
きっと気丈だったんだろうな。

その後は娘夫婦が同居していたので、孫に囲まれながらの旅立ちだったから
良かったのかな。

私の祖母たちもそうでしたが。
戦争で父親を亡くし、女だけで、家を守る。。。気丈な女たち。
そんな代表のような伯母です。

会えば、必ず説教から入る。。。ので皆尻込む。
でも、それも気遣のひとつなんだって、気づくのは今更です。

さよなら、伯母さん。
また、どこかで会いましょう!

色々お世話になりました。
ありがとう!

by tezguitar | 2008-01-21 16:02